ENGINE SUMMER
bubunのコレクションの中に、表面に施された縞状のカット – facet – が造形的な特徴になっている[tick]シリーズがある。[tick]という言葉は”時を刻む”ことを意味していて、その少し不揃いなカットの一つ一つは、作り手である僕ら自身の身体的なリズムの反映、手作業を積み上げていった時間の痕跡であるとともに、身に着ける人にとっては記憶を刻み、また呼び起こす、手掛かり、indexとしても機能するようにとの思いを込めている。
この[tick]に限らずジュエリーというものは、記憶を刻みつけていく媒体、メモリーとしての側面があって、着用を重ねるたびに紐付けされる記憶が増え、持ち主との関係が強化されていくのだと思う。ただ、そうしてジュエリーに蓄積された記憶はあくまで私的なもので、通常は他者が読み取れるものではない。
”この水晶が、あなたの言葉を記録するの。あなたのいったことはぜんぶ、この水晶の八つの切子面に―刻み込まれるというか、焼きつけられるのよ。” ( 『エンジンサマー』ジョン・クロウリー, 1979, 大森望訳 )
遠未来を描いた幻想的な小説『エンジンサマー』の中で、物語の主人公である<しゃべる灯心草>にこう語りかけるのは、この世界で<天使>と呼ばれている存在だ。<しゃべる灯心草>の住む世界では<嵐>とよばれる大災厄によって遥か昔に機械文明が衰退していて、姿を消してしまった旧時代の機械文明人は<天使>と呼ばれ畏敬の念を持たれている。人々はその<天使>が遺した文明の残骸に豊饒な意味を見出しながら、どこかネイティブアメリカンを彷彿させるプリミティブな精神性をもって生活している。物語はその<天使>の一人による<しゃべる灯心草>へのインタビューの形式で進んでいく。その会話の記録媒体となるのは水晶で、<しゃべる灯心草>の話す一言一言は、水晶の<切子面> – facet – に、他の誰かが読み取るべき物語として刻まれていく。インタビューが進むにつれて次第にいくつもの水晶のfacetがレイヤーとして重なっていくことになるが、物語は最後まで透明性を失うことなく、回転式のスライド映写機のフィルムが途切れたときのように残像を残して幕を閉じる。
[tick]を作るとき、この本に描かれた水晶のことがいつも頭に浮かぶ。『エンジンサマー』は20代のころSFを読み漁っていた時期に鮮烈な印象を受けた一冊で、人生の刹那が透明な塊の中で光の断片として輝くそのきらめくような描写に幻惑された。この世界への憧憬をジュエリーとして昇華できたらなと思う。
ちなみに本のタイトルのエンジンサマーとは現代語の「インディアンサマー」が作中で長い長い時を経て変容した語だ。
日本語でいう小春日和。秋と冬の境目、ちょうど今のようなの時期の穏やかな晴れの日のことだ。